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創薬の転換点:動物実験依存からヒト細胞モデルへ——次世代安全性評価の現在地

創薬の歴史が変わる:動物実験に依存しない「次世代の安全性評価」5つの衝撃的な真実 イメージ画像

私たちは今、医療の歴史における巨大な転換点に立ち会っています。

これまで、薬の安全性を担保してきたのは、50年以上もの間、動物実験に支えられた「動物中心のパラダイム」でした。しかし、最新の科学データは冷厳な事実を突きつけています。

動物試験を通過した薬剤候補のうち、臨床試験で承認に至るのは約10%前後と報告されています。 この高い失敗率は、動物モデルの限界に加え、薬効不足や商業的理由など複数の要因が重なることが背景にあります。(*1)。

この「90%の壁」の背景には、種間の代謝経路の相違や免疫学的な不一致といった根深い科学的問題が存在します。現在、米国FDAの近代化法2.0やICHガイドラインの改訂といった、歴史的なパラダイムシフトが進行しています。

本記事では、バイオテクノロジーとAIの進化がもたらす「次世代の安全性評価」の真実を、最新の科学的知見と共に解説します。


目次

FDAが「動物実験はもはや必須ではない」と宣言した理由

2022年12月、バイデン大統領が署名した「FDA近代化法2.0」により創薬の安全性評価の枠組みにおいて、大きな転換点が訪れました。FDAは、製品の安全性評価において「動物試験のみを必須とする規定」を削除し、ヒト細胞や計算モデルなどの代替法を正式に活用可能とする法改正を行いました。(*1, *5)。

この決定を後押ししたのは、従来の動物モデルがいかにヒトの生体反応を予測できていないかというデータの蓄積です。例えば、ヒトで催奇形性を示す化合物の予測性については、動物種や試験条件によって大きくばらつきがあり、60%前後と報告する研究も存在します。 このように、種差による限界が明確になりつつあります。(*1)。

種が異なれば、毒性の現れ方も異なります。この「種の壁」を越えるため、規制当局は今、ヒトの細胞を用いた新しいアプローチ(NAMs)へと大きく舵を切っています。

シャーレの中で育つ「ミニ臓器」とAI解析の衝撃

動物モデルの限界を克服する旗手として期待されているのが、ヒトiPS細胞から構築される「オルガノイド(ミニ臓器)」や、微細加工技術を用いた「臓器チップ(Organ-on-a-chip)」です(*2)。

これは単なる細胞培養ではありません。3D構造を持つことで、心臓の鼓動や呼吸に伴う物理的な動き、さらには複数のチップを連結して「臓器間の相互作用」まで再現可能にするシステムです。

さらに、ここにAI(人工知能)が加わることで、評価精度は飛躍的に向上しています。

  • AI画像認識の導入:慶應義塾大学らの研究では、AIが細胞の画像から「老化度」を瞬時にスコア化する技術を開発しました。これにより、特殊な試薬を使わずに非破壊で薬剤の効果を判定でき、老化抑制薬の同定にも成功しています(*4)。
  • 成熟化技術の進化:iPS細胞由来の心筋細胞などに「電気刺激」を与えることで、胎児レベルから成人レベルの機能へと成熟させる技術も確立されつつあり、より正確な毒性予測が可能になっています(*3)。

「ダブル・ネガティブ」:臨床試験を合理化する新たな枠組み

規制の世界でも、科学的根拠に基づいた合理的なプロセスが導入されています。特に重要なのが、心臓への副作用評価に関する「ICH E14/S7Bガイドライン」の改訂です。

ここでは、非臨床試験の精度を高めることで、ヒトでの大規模な「徹底的QT試験(TQT試験)」を回避・簡略化できる仕組みが整えられました。鍵となるのは、標準化された高度なプロトコルに従った以下の2つの試験で負の結果を得る、いわゆる「ダブル・ネガティブ」の成立です(*6)。

  1. hERG試験:心臓のリズムを司るチャンネルへの影響を細胞レベルで確認。
  2. in vivo(生体内)試験:遠隔測定装置を用いた動物での心機能評価。

これらが共に陰性であれば、ヒトでの大規模なTQT試験を簡略化または回避できる可能性があり、安全性を確保しながら開発プロセスを合理化できるとされています。なお、現時点で動物試験が完全に不要になるわけではありません。

倫理性と科学性の両立——「3R原則」と個別化医療

動物実験における「3R原則」(Replacement:置き換え、Reduction:削減、Refinement:苦痛軽減)は、もはや倫理的スローガンではなく、「実用的な目標」です(*7)。

この動きは、患者一人ひとりのiPS細胞を用いる「個別化医療(Personalized Medicine)」とも密接に関連しています。

  • 患者特異的モデル:特定の疾患を持つ患者の細胞から作られた臓器チップやオルガノイドを用いることで、「その患者にだけ効く薬」や「その患者にだけ出る副作用」を、実際に投与する前に予測する「皿の上の臨床試験(Clinical Trial in a Dish)」が現実味を帯びています(*2, *8)。

動物を使わないことが、結果として「ヒトへの予測性」という科学的価値を究極まで高めるという、倫理と科学の幸福な一致が起きているのです。

胚モデルが解き明かす「生命誕生のブラックボックス」

これまで、妊娠初期の薬物影響をヒトで調査することは、倫理的にも技術的にも「ブラックボックス」とされてきました。しかし、最新の「胚モデル」がこの領域に光を当てています(*9)。

  • ブラストイド(胚盤胞様構造):受精卵が子宮に着床するプロセスを再現。
  • ガストルロイド:体の基本設計図ができる「三胚葉形成」を再現。

これらのモデルは、動物実験では捉えきれなかったヒト特有の発生過程の一部を再現し、発生毒性研究の新たな手段となり得ます。 これらの研究は高い科学的可能性を持つ一方で、倫理的議論も並行して進められており、社会的合意形成が重要な課題となっています。

OECDなどの国際機関も、これらの代替法を用いた発達神経毒性(DNT)評価のガイドライン整備を急いでいます(*10)。


未来に向けた問いかけ

私たちは今、動物データを唯一の基盤とする時代から、ヒト由来データや高度な代替法を組み合わせて安全性を予測する時代へと移行しつつあります。 動物試験は依然として選択肢のひとつですが、科学的根拠に基づく多様なアプローチが主流になりつつあります。

もし、あなたが服用する薬が、あなたの細胞を再現した「チップ」の上で、あらゆる副作用をシミュレートされた末に届けられたとしたら、医療への信頼はどう変わるでしょうか?

動物の使用を減らしつつ、ヒトへの予測精度を高める技術が急速に整いつつあります。 倫理と科学の両立を目指す未来は、確実に近づいています。


参照リスト

  1. 幹細胞を用いた毒性評価:次世代のリスクアセスメントにおける技術的・規制的パラダイムシフト(本報告書 序論・第1章)
  2. Organoids VS Organ-on-a-chip: A Comparative Review of Advanced In Vitro Models(Elveflow Review)
  3. Electrical stimulation: a missing key to promote maturation of human pluripotent stem cell-derived cardiomyocytes in three-dimensional cardiac tissues(Frontiers in Bioengineering and Biotechnology)
  4. AI画像認識により細胞の老化度をスコア化、血管老化を抑制する薬剤候補同定に成功(AMED プレスリリース/慶應義塾大学)
  5. Advancing New Alternative Methodologies at FDA(U.S. Food & Drug Administration)
  6. Update on ICH E14/S7B Cardiac Safety Regulations: The Expanded Role of Preclinical Assays and the “Double‐Negative” Scenario(Clinical Pharmacology in Drug Development)
  7. Reducing the Need for Animal Testing: How In Vitro Models Are Transforming Ethical and Scientific Research(CMDC Labs)
  8. Patient-Specific Organoid and Organ-on-a-chip: 3D Cell-Culture Meets 3D Printing and Numerical Simulation(Advanced Biology)
  9. In vitro models of human development and their potential application in toxicity testing(Developmental Biology Review)
  10. In vitro assays for developmental neurotoxicity(OECD Workshop Report)
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