要約
2020年代前半、世界では新型コロナウイルス感染症の拡大を契機に、感染症研究やワクチン開発が活発化し、非ヒト霊長類(サル)の需給ひっ迫と価格高騰が生じました。米国国立衛生研究所(NIH)関連の報告でも、研究用サルの確保が困難となり、当初計画より少ない頭数で研究を進めざるを得なかったと報告されています*1,*2。
一方、日本では新日本科学が鹿児島県指宿市で大規模なサル繁殖・飼育施設を増強し、2026年に最大8,400頭体制で国内需要を賄う計画を発表するなど、「サル供給を国内で安定化させる」方向に舵を切っています*3。さらに同社は、業界向け説明会などで「実験用サルは足りている」との見解も示しており、厚生労働省や製薬業界が共有する「不足感」との間にギャップが生じていることも報道されています*4。
同時に、EU、英国、米国などでは、動物実験の削減と、非動物試験への移行を政策目標に据えたロードマップや国家戦略が相次いで公表されています。EUは指令2010/63/EUの中で「科学的に可能になり次第、動物実験を段階的に廃止する」と明記し、英国は2025年に「Replacing animals in science」戦略を発表し、2030年までに犬とサルを用いた試験を35%以上削減する目標を打ち出しました*7,*8。
このように、「サルを確保する動き」と「サルを減らす動き」が同時進行している矛盾した状況こそ、現在の世界の実態です。
2020年代前半までの状況整理
世界のサル不足と供給リスク
米国では、ワクチン・感染症研究が集中した結果、サル不足が深刻化しました。NIH関連文書では、予定されていた研究計画が変更され、試験規模を縮小せざるをえなかったとされています*1,*2。
また、マカク類の国際取引を分析した研究では、2000〜2020年の20年間で、研究用サルの国際価格が急上昇し、輸送や規制をめぐるリスクが高まっていることが示されています*5。
動物福祉団体も、パンデミック期におけるサルの過剰な利用や輸送中の死亡率上昇などを問題視しています*6。
日本の状況:国内繁殖体制の拡充
薬事日報の報道によると、新日本科学は実験用サルの国内安定供給を目的として、指宿市の施設を拡張し、2026年にはカニクイザルなどを大規模に飼育できる体制を構築するとしています*3。
一方、日刊薬業は、同社幹部が「実験用サルは足りている」と述べたことに対し、製薬業界や研究者の間では「依然として供給不安がある」との見方が根強いことを報じています*4。
法制度と政策の流れ
日本:3R原則とガイドライン中心
日本では、日本学術会議の「動物実験の適正な実施に向けたガイドライン」を基礎とし、3R原則が示されています*10。
また、脳科学分野では、日本神経科学学会などが非ヒト霊長類の使用に関する詳細なガイドラインを作成し、研究者の倫理意識向上を図っています*11。
ただし、日本には欧州や英国のような「サル使用を何年までに何%減らす」といった明確な国家目標が存在しません。
欧州・英国・米国:削減目標の明確化
EUは、動物を用いた安全性試験を「最後の手段」とし、可能な限り非動物試験法に置き換える姿勢を鮮明にしています*7。
英国は2025年に発表した戦略の中で、
・一部安全性試験を2026年までに終了
・ボツリヌス毒素試験の動物使用を廃止
・2030年までに犬とサルの試験を35%削減
という具体的な工程表を提示しました*8。
米国でも、臓器チップ(Organ-on-a-Chip)などの技術を導入し、動物実験の削減を政策レベルで進めています*9。
将来シナリオ(2025〜2035年)
図1:実験用サル使用の将来シナリオ(2025〜2035年)
| シナリオ | 概要 | 日本の動き | 海外の動き | 予測される結果 |
|---|---|---|---|---|
| A:現状延長型 | 使用継続・緩やかな減少 | 繁殖施設増設で供給強化 | 削減は限定的 | 10〜20%減、依存構造は維持 |
| B:政策主導型 | 代替法が主流化 | 国際基準への追随が進む | EU・英国中心に削減加速 | 30〜50%減、転換点 |
| C:ショック型 | 供給断・社会反発 | 影響回避困難 | 輸出規制・世論高騰 | 研究停滞・急減リスク |
シナリオA:現状延長型(緩やかな減少)
・サル使用は続くが、10〜20%程度は減少
・日本では繁殖体制だけが強化され、国際基準には遅れ
・「数は余るが使われないリスク」が発生
シナリオB:政策主導型(大幅削減)
・欧州・英国主導で30〜50%削減
・代替法が毒性評価などから主流化
・日本も輸出型代替技術国家へ転換可能
シナリオC:ショック型(供給断+社会的反発)
・供給国の輸出停止
・大規模告発・感染症事故
・「使いたくても使えない」急激な転換
日本が直面する選択肢
・代替法への本格投資
・使用実態の公開
・減少目標の明示
・国際潮流との整合
図2:日本と海外における「サル使用政策」の違い
| 項目 | 日本 | 欧州・英国 |
|---|---|---|
| 国家削減目標 | なし | 数値目標あり |
| 法的拘束力 | 弱い(指針中心) | 強い(法律・規則) |
| 代替法支援 | 研究者・企業任せ | 国家戦略で推進 |
| 情報公開 | 限定的 | 比較的透明 |
| 今後の方向性 | 供給重視型 | 削減重視型 |
結論
2025〜2035年は、
「サルに頼る薬の時代」が終わるかどうかが決まる10年
です。供給を増やすだけでは、世界では通用しなくなりつつあります。
参照リスト
*1 Yost OC et al., “Nonhuman Primate Models in Biomedical Research”, National Academies (2023)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK593002/
*2 National Academies, “Data on Nonhuman Primate Use in NIH-Supported Research”
https://www.nationalacademies.org/read/26857/chapter/9
*3 薬事日報「新日本科学、実験用サル繁殖施設増強」
https://www.yakuji.co.jp/entry106364.html
*4 日刊薬業「『実験用サルは足りている』と新日本科学が主張」
https://nk.jiho.jp/article/185061
*5 Warne RK, “Is biomedical research demand driving a monkey business?”
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S235277142300040X
*6 Animal Welfare Institute, “Nonhuman Primates”
https://awionline.org/content/non-human-primates
*7 European Commission / EMA
https://single-market-economy.ec.europa.eu/sectors/chemicals/reach/roadmap-towards-phasing-out-animal-testing_en
https://www.ema.europa.eu/en/human-regulatory-overview/research-development/ethical-use-animals-medicine-testing
*8 UK Government, “Replacing animals in science”
https://www.gov.uk/government/publications/replacing-animals-in-science-strategy
*9 Emulate Bio “U.S. actions to reduce animal studies”
https://emulatebio.com/alternatives-to-animal-testing-in-drug-development/
*10 日本学術会議「動物実験の適正な実施に向けて」
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-k16-2e.pdf

