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犬肉消費をめぐる犯罪・政治・文化・公衆衛生:アジアで起きている構造変化

犬を表す生成AIイメージ

犬肉消費は、しばしば「文化」か「動物福祉」かという単純な対立軸で語られがちです。しかし実際には、供給網の犯罪化、政治的シグナルとしての食行動、宗教的・宇宙論的価値観、公衆衛生への脅威、そして急速に変化する規範や立法など、複数のレイヤーが複雑に交差するテーマです。本記事では、文化人類学・フードシステム・公共政策の観点を統合し、この問題の真の構造を浮き彫りにします。(*1)

目次

犯罪に依存する供給網:伝統ではなく「窃盗経済」

東南アジアの犬・猫肉取引において最も顕著な事実は、産業的畜産ではなく、ペット盗難や路上動物の捕獲に依存している点です。例えば、FOUR PAWS の報告では、首輪をつけたまま市場に並ぶ犬が確認され、これらの犬が本来は家庭のペットであったことが示されています。これらは「文化」ではなく、「窃盗経済」による供給です。

この構造は、文化論争を超えて、公共安全・財産権・地域社会の恐怖という問題を浮き彫りにします。犬肉問題は「文化相対主義」で免責される領域ではなく、まずは犯罪の根絶が政策の出発点となるべきです。(*2)


ベトナム・ホイアン が示す「皿の上の政治学」

人類学者 Neil Avieli の研究は、犬肉消費をめぐる政治的意味の典型例を示しています。ホイアンでは、1990年代後半には犬肉レストランは裏路地の仮設小屋にあり、主にブルーカラーの男性が利用する場でした。しかし2000年代初頭、突然中間層の男性が集まる人気店として急増しました。この変化の背景には、犬肉が「北部政権への忠誠」の象徴とされ、食べることが政治的傾向を示す「行動シグナル」となったという事情があります。

さらに、仏教の宇宙論的価値観では、犬肉は「不浄」や「不運を招く」ものであり、犬食を避ける傾向があります。ホイアンの住民も、宗教的・宇宙論的観点から犬肉を避ける者が多くいました。

こうした構造は、単なる「食の伝統」や「階級の違い」「消費スタイル」では説明できず、文化と政治、アイデンティティの交錯を示しており、食行動が社会的・政治的意味を帯びることを明確に示しています。(*3)


公衆衛生リスク:狂犬病など未管理の動物取引の危険性

非合法かつ管理されない供給網は、公衆衛生上の重大なリスクをもたらします。実際に、疫学研究では、2015~2017年にかけてベトナム・ハノイの複数のスラウターハウスで処理された犬のうち、一定割合が狂犬病ウイルス陽性、または中和抗体を持っていたことが報告されています。これは、犬肉流通および屠殺の過程が、人への狂犬病感染リスクを伴う可能性を示すものです。(*4)

また、犬猫肉消費の統計によれば、ベトナムでは年間約500万匹の犬と約100万匹の猫が殺されていると推定されています(推定値)。都市部での定期的な消費者は11%程度であり、男性消費者が多い傾向があります。(*5)

このようなリスクは、疫学的観点から見たときに、単なる「動物福祉」の問題ではなく、国家の健康安全保障に関わる問題であり、規制や禁止を支持する根拠となります。(*4,*5)


規範の激変 ― 伝統から「社会的タブー」へ

近年、アジア地域では犬肉に対する社会意識が急速に変化しており、法制度にもその変化が反映されています。

例えば、韓国では2024年1月9日に、犬の飼育・屠殺・流通・販売を全面的に禁止する法律が可決され、施行は猶予期間を経て2027年から予定されています。これは、国民の動物福祉志向と国際的なイメージ配慮の高まりを背景に、制度的な禁止措置が実現した例です。

また、ペット飼育の増加、特に若年層における動物倫理観の高まりが、社会規範の変化を促しています。これは単なる個人の価値観の変化ではなく、リベラルな公共倫理が政策として制度化される「政治的転換点」を示しています。(*6)


「個人の自由」というパラドックス

一方で、犬肉消費に反対する人々の中にも、「何を食べるかは個人の自由だ」という原則論から、法的禁止に抵抗を示す人がいます。これは、抽象的な価値(自由)と、具体的な帰結(犯罪、公衆衛生リスク、虐待)の間に生じる深い矛盾を浮き彫りにします。

非消費者であっても、自由の原則を守ることで、結果的に問題の多い産業を擁護してしまう構造が存在します。これは、単なる倫理論で済ませられない、制度設計と公共政策の領域の問題です。(*7)

中国

中国でも、犬肉をめぐる規範と制度は急速に揺れ動いています。2020年には、農業農村部が家畜・家禽の「ポジティブリスト」から犬を外し、犬を「食用家畜」ではなく伴侶動物として位置づける方針を示しました。(*8)

同年、深セン市や珠海市は犬猫肉の販売・消費を禁止する条例を制定し、違反者に高額の罰金を科すなど、地方レベルでは実質的な禁止政策が進んでいます。(*9)

一方で、全国レベルでの包括的な禁止法は存在せず、広西チワン族自治区・玉林市の「犬肉祭」を含め、一部地域では違法・グレーゾーンを含む取引が続いているのが現状です。(*10)

世論調査では、玉林市住民の約7割が「犬肉を常習的には食べない」と回答しており、犬肉消費は中国社会全体の主流文化ではなく、地域や世代によって支持が分かれる少数派の慣行であることが示されています。(*10)

さらに、大連など沿海都市の住民調査でも、犬肉を食べた経験がある人は一定数存在するものの、日常的に消費する人は限られていることが報告されており、犬肉をめぐる「文化」は国内でも強く争点化されています。(*11)

それにもかかわらず、産業側や一部の地方政府は、犬肉取引を「伝統文化」や「個人の選択」として正当化し、規制強化への抵抗を続けています。(*12)

国レベルでは犬を伴侶動物として位置づけつつ、現場では盗難犬・放浪犬を含む供給網が存続し、公衆衛生リスクへの対応も不十分な状態が続いているため、制度の曖昧さが違法・半違法な産業の温床になっていると言えます。(*8,*12)

ここにも、「文化」や「自由」の名の下に問題の多い産業が維持される構造があり、制度設計と公共政策の観点から、そのギャップをどのように埋めるかが問われています。

インドネシア・ジャカルタの犬猫肉禁止が示す「自由」と制度の転換点

このような構造は、特定の国に限った問題ではありません。実際に、近年アジア各国では、犬肉消費をめぐって「個人の自由」や「文化」を超えて、動物福祉と公衆衛生の観点から法制度を見直す動きが広がっています。その象徴的な事例が、2025年11月にインドネシア・ジャカルタ首都特別州が発表した犬猫肉禁止条例です。

2025年11月、報道によればインドネシアの首都ジャカルタは、犬や猫、コウモリ、サル、ジャコウネコなど、狂犬病を媒介する可能性のある動物について、食用目的での取引・販売・消費を全面的に禁止する条例を発表しました。

禁止対象には、生体だけでなく、精肉や加工肉も含まれます。違反者に対しては、警告や行政処分、再発時には営業停止や免許剥奪などの制裁が予定されています。

この措置には約6か月の猶予期間が設けられており、動物保護団体は今回の決定を歓迎しています。一方で、かつて犬肉を食べていた一部の住民からは、「犬肉食は伝統であり、個人の自由である」「神は犬を食用に創造された」という信念を根拠に反対の声も上がりました。

しかし、この出来事は、まさに本稿が指摘してきた「自由の原則が、結果的に問題の多い産業を擁護してしまう構造」を現実の行政判断として可視化した事例だと言えます。犬肉食をめぐる議論は、しばしば「文化か動物福祉か」という対立軸で語られますが、実際にはこれは、一部の食習慣の保護と、動物の命・公衆衛生・社会全体の安全との調整問題です。

ジャカルタの決定は、「何を食べるかは個人の自由である」という原則よりも、感染症対策と動物福祉という公共の利益を優先したものであり、「個人の嗜好は、他者(人間および動物)の被害を生む場合には、社会的制約の対象となる」という公共政策上の判断を明確に示しています。

また、地方政府が独自に踏み切った点も重要です。国レベルで包括的な禁止が存在しない状況において、都市単位で明確なルールを設けたことは、「制度は上から与えられるものではなく、現場から変えられるものでもある」ことを示しています。同時に、制度の形式化だけでなく、監視体制や市民意識の改善、代替文化の育成など、実効性を伴う運用が今後の課題となります。

このように、ジャカルタの事例は、「文化」「信仰」「自由」という言葉が、どのようにして動物虐待的産業を覆い隠しうるのか、そしてそれに制度がどう対抗できるのかを示す、極めて示唆に富んだケースです。問題は道徳論ではなく、社会全体としての制度設計の質にあるという、本稿の論点を補強するものと言えるでしょう。

出典: AFPBB News「『神は犬を食用に創造された』 インドネシア首都の犬肉食禁止に賛否」

国別:犬猫肉取引・消費の現状と法規制マトリクス

国/地域犬猫肉取引・消費の現状法規制・最近の動きコメント・特徴
ベトナム犬および猫の肉取引が一定規模で継続。報告によれば、毎年約500万匹の犬と約100万匹の猫が殺されていると推定。*1,*2国全体での包括禁止法は未確認。ただし、一部地域でローカルの禁止・段階的廃止の取り組みあり(例:観光地のレストラン閉鎖の事例あり)。*2消費は地域と世代で差が大きく、都市部や若年層では反対の声が増加。取引の多くは盗難ペットや野良犬猫の非公式供給に依存。動物福祉・公衆衛生・所有者の権利という複数の問題が重なる典型的事例。*1,*2
カンボジア犬肉取引・消費が存在。報告では毎年約300万匹の犬が食用にされていると推定されています(推定値)。*2,*3地方レベルでの禁止の動きあり。例えば観光地のある県(州)で屠殺・取引を禁止した事例。*3犬肉は「特別な肉(special meat)」としてアルコールとともに消費されることが多く、消費者多数が男性。若年・都市部を中心に反対の声が高まりつつある。取引および流通の多くが非公式で正確な実態把握が困難。*2,*3
インドネシア一部地域で犬・猫肉の取引と消費があり、全国的には人口のごく少数(7%未満)が消費。都市部ではさらに低く、ジャカルタではごく少数。*1,*2国全体での全面禁止は報告されていない。ただし、動物福祉団体による規制・禁止の働きかけあり。*2犬猫肉の供給・屠殺は、衛生も福祉も無視された「極端市場(extreme markets)」で行われることが多く、多くの動物が恐怖と苦痛の中で死を迎える。公衆衛生上および倫理上の重大な懸念。*1,*2
韓国犬肉消費は長年続いてきたが、近年は明らかに減少。若年層・都市部での消費は希少。消費者数は少数派。*42024年1月9日、国会で「犬食用禁止法」が可決。食用目的の犬の飼育・屠殺・流通・販売を全面禁止。施行は猶予期間を経て2027年から。違反には刑罰(懲役・罰金)あり。*5,*6禁止決定は、ペット飼育の増加、動物福祉意識の高まり、国際イメージ配慮などが背景。代替産業への転業支援や補償議論も並行。社会文化の大きなターニングポイント。*5,*6

補足:

  • 「現状」欄は推定値・アンケート・非公式報告に基づく。非公式・非合法の影響で実数はさらに大きい可能性あり。
  • 「法規制・最近の動き」欄は最新ニュース・国際動物福祉団体報告を参考。

参照リスト(国別:犬猫肉取引・消費の現状と法規制マトリクス表)

  1. World Animal Protection. Dog and cat meat trade: Southeast Asia statistics and reports. 2023. URL: https://www.worldanimalprotection.org/our-work/animals-in-food-systems/dog-and-cat-meat-trade
  2. FOUR PAWS. The Dog and Cat Meat Trade in Southeast Asia: A Threat to Animals and People. 2020.
  3. Humane Society International. Dog meat consumption and legal frameworks in Asia. 2022. URL: https://www.hsi.org/issues/dog-meat
  4. AP News. “Dog meat production and sales will soon become illegal in South Korea.” 2024年1月9日。URL: https://apnews.com/article/dog-meat-ban-south-korea
  5. Avieli, Neil. Dog meat politics in a Vietnamese town. Ethnology, 50(1):59-78, 2011.
  6. Humane Society International. 前掲書, 2022.

動画

この動画は、インドネシア・スコハルジョの違法な犬肉用屠殺場に連れてこられ、口を縛られ袋詰めにされるなどして極度に衰弱した50頭以上の犬が描かれています。

警察と Dog Meat Free Indonesia 連合の協力による急襲で、犬たちは屠殺直前に保護されました。警察署での緊急獣医ケアを経て、西ジャワ州ボゴールの仮設シェルターに移送されます。

そこで点滴や栄養補給、傷の治療といった集中的なケアを受けながら、過酷な経験にもかかわらず人への愛情を示す姿が記録されています。

この動画は、韓国の犬肉産業の実態を伝えるドキュメンタリー予告編の一部を用いたものです。

犬が劣悪な環境の犬農場や市場で狭い檻に押し込められ、扱き使われたり虐待されながら飼育される様子が映されています。

最終的に、動物福祉上問題のある方法で屠殺される場面も短い映像で示されています。そして、このような犬肉・猫肉産業をなくすためのアクションを呼びかける内容となっています。

参照リスト

  1. Avieli, Neil. Dog meat politics in a Vietnamese town. Ethnology, 50(1):59-78, 2011.
  2. FOUR PAWS. The Dog and Cat Meat Trade in Southeast Asia: A Threat to Animals and People. 2020.
  3. Avieli, Neil. 前掲書, 2011.
  4. Vu AH, Nguyen TT, Nguyen DV, Ngo GC, Pham TQ, Inoue S, Nishizono A, Nguyen TD, Nguyen AKT. Rabies-infected dogs at slaughterhouses: A potential risk of rabies transmission via dog trading and butchering activities in Vietnam. Zoonoses and Public Health. 2021;68(6):630-637. DOI: 10.1111/zph.12851.
  5. World Animal Protection. Dog and cat meat trade: Southeast Asia statistics and reports. 2023. URL: https://www.worldanimalprotection.org/our-work/animals-in-food-systems/dog-and-cat-meat-trade
  6. AP News. “Dog meat production and sales will soon become illegal in South Korea.” 2024年1月9日。URL: https://apnews.com/article/dog-meat-ban-south-korea
  7. Humane Society International. Dog meat consumption and legal frameworks in Asia. 2022. URL: https://www.hsi.org/issues/dog-meat
  8. Reuters. “China reclassifies dogs as pets, not livestock, in post-virus regulatory push.” 2020年4月9日.
    China reclassifies dogs as pets, not livestock, in post-virus regulatory push | Reuters
  9. Animal Equality. “Progress: Shenzhen Bans Dog, Cat, and Wild Animal Meat.” 2020年4月8日.
    https://animalequality.org/news/2020/04/08/shenzhen-bans-dog-cat-wild-animal-meat/
  10. Humane Society International / Capital Animal Welfare Association & Vshine. “New survey reveals dog meat consumption in Yulin China isn’t popular despite controversial dog meat festival.” 2017年6月12日.
    https://www.humaneworld.org/en/news/new-survey-reveals-dog-meat-consumption-yulin-china-isnt-popular-despite-controversial-dog
  11. Li, Peter J. et al. “Dog Meat Consumption in China: A Survey of the Controversial Eating Habit in Two Cities.”
    (PDF) Dog “Meat” Consumption in China: A Survey of the Controversial Eating Habit in Two Cities
  12. Humane World / Humane Society International. “Ending China’s dog and cat meat trade.”
    https://www.humaneworld.org/en/campaign/ending-chinas-dog-and-cat-meat-trades

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