世界の動物福祉政策と日本が向き合うべき課題
動物園、水族館、サーカスは、長らく「家族で楽しむ娯楽」として社会に受け入れられてきました。しかし近年、こうした娯楽の裏側にある動物の扱いについて、世界各地で見直しが進んでいます。その中心にあるのが動物福祉(アニマルウェルフェア)という考え方です。
動物福祉とは、単に動物を生かしておくことではなく、身体的・心理的にどのような状態で生きているかを重視する概念です。現在、各国はそれぞれ異なるアプローチを取りながらも、「娯楽のために動物を使うこと」に対して、明確な制限や責任を課す方向へと動いています。
サーカスにおける規制の進展
カナダ:クジラ・イルカの飼育を原則禁止
カナダでは刑法改正により、クジラやイルカなどの鯨類の飼育や繁殖が原則として禁止されました(*1)。この改正は、議会立法(Bill S-203)によって実現したものです(*2)。
この法律は、水族館における鯨類展示の正当性を根本から問い直すもので、娯楽目的での利用に強い制限を課しています。
英国:移動サーカスでの野生動物利用を禁止
英国では、イングランド、スコットランド、ウェールズにおいて、移動サーカスでの野生動物利用が法的に禁止されています(*3)(*4)(*5)。
これは、特定の虐待事例が確認されたからではなく、移動サーカスという形態そのものが、野生動物の福祉と両立しないという判断に基づくものです。
ウズベキスタン:サーカスでの動物利用そのものを禁止
中央アジアのウズベキスタンでは、動物を用いたサーカス公演自体が禁止されました(*6)。
この措置は、野生動物に限定せず、動物を芸として使う構造そのものを否定する点で、世界的にも注目されています。
なお、世界全体でのサーカス禁止・規制の広がりについては、国際動物保護団体や関連団体による包括的な整理が存在します(*7)(*8)(*9)(*10)。
包括的な法的枠組みというアプローチ
米国:AWAとMMPAによる規制
米国では、サーカスや動物園、水族館を含む展示動物は、動物福祉法(Animal Welfare Act:AWA)の下で管理されています(*11)(*12)。
この法律は、商業・研究・展示目的で使われる動物の輸送、飼養、取り扱いについて、最低限の基準を定めています。
一方、イルカやクジラなどの海洋哺乳類については、海洋哺乳類保護法(MMPA)が別途存在し、捕獲や輸入など特定の行為を厳しく制限しています(*13)(*14)。
このように米国では、複数の法律と行政機関が関与する断片的な規制構造が特徴です。
動物園・水族館に求められる「心の健康」
現代の動物福祉で重視されるのは、餌や医療といった身体的健康だけではありません。心理的な幸福(psychological well-being)、すなわち「心の健康」が重要な要素とされています。
その中心にあるのが環境エンリッチメント(environmental enrichment)という考え方です。これは、動物が本来持つ行動――探索、採食、社会的交流など――を発現できるよう、飼育環境に工夫を加えることを指します。
日本の「展示動物の飼養及び保管に関する基準」では、「本来の習性が発現できるように努めること」が明記されています(*15)(*16)。
逆に、同じ動作を繰り返す常同行動は、心理的ストレスの指標とされ、福祉上の問題として扱われます。
測定可能な福祉基準の導入
動物福祉の規制は、抽象的な理念ではありません。多くの国では、具体的で測定可能な基準が設けられています。
ニュージーランドの動物園福祉規定では、行動的に相容れない個体を、互いにストレスを与えるような距離での飼育は禁止されています(*17)。
このような基準は、施設の善意に委ねるのではなく、客観的な評価を可能にするためのものです。
日本の制度:「終生飼養」という原則と国内の取り組み
日本の展示動物制度の大きな特徴の一つが、終生飼養の原則です。
環境省が定める展示動物の基準では、施設が受け入れた動物について、その生涯にわたり責任を持って飼育するよう努めることが求められています(*18)。
高齢になった、展示に適さなくなったという理由だけで「安楽死などによる処分は原則として認められておらず、例外的な場合でも獣医師による人道的措置が必要とされています。
また、日本では展示や飼養に関わる事業者は、条件により第二種動物取扱業の枠組みとも関係します(*19)。
加えて、日本動物園水族館協会(JAZA)は独自に動物福祉規程を策定し、加盟施設に福祉向上を求めています(*20)。
さらに、日本における動物福祉基準の整備を促す国際的な議論も進められています(*21)。
国際基準としてのWAZAの役割
世界動物園水族館協会(WAZA)は、2023年に新たな倫理規範を採択し、加盟団体に対して動物福祉評価プロセスの導入を求めました(*22)(*23)。
この取り組みは法的拘束力こそありませんが、世界的なベンチマークとして機能しています。
動物園・水族館は、単なる娯楽施設ではなく、保全・教育・研究の拠点として社会から信頼される存在であることが求められています。
おわりに:制度と価値観の両輪で進む未来
世界ではすでに、「娯楽のために動物を使うこと」を当然としない社会への移行が始まっています。禁止という形を取る国もあれば、包括的な法制度や国際基準によって強く制約する国もあります。
重要なのは、制度の有無だけでなく、私たち自身がどのような価値観を選ぶのかです。
動物の尊厳を尊重する社会は、娯楽を失う社会ではありません。むしろ、より成熟した文化を育む土台となるはずです。
参照リスト
*1 カナダ刑法「Criminal Code s.445.2(Cetaceans)」
https://laws-lois.justice.gc.ca/eng/acts/C-46/section-445.2.html
*2 カナダ議会「LEGISinfo: Bill S-203」
https://www.parl.ca/legisinfo/en/bill/42-1/S-203
*3 UK Government「Animal welfare guidance」
https://www.gov.uk/guidance/animal-welfare
*4 Scottish Government「Wild Animals in Travelling Circuses (Scotland) Act 2018」
https://www.gov.scot/publications/guidance-wild-animals-travelling-circuses-scotland-act-2018/
*5 Welsh Government「Wild Animals and Circuses (Wales) Act 2020」
https://law.gov.wales/wild-animals-and-circuses-wales-act-2020-0
*6 Times CA「Uzbekistan bans the use of animals in circus performances」
https://timesca.com/uzbekistan-bans-the-use-of-animals-in-circus-performances/
*7 FOUR PAWS「Worldwide Circus Bans」
https://www.four-paws.org/campaigns-topics/topics/wild-animals/worldwide-circus-bans
*8 FOUR PAWS USA「Worldwide Circus Bans」
https://www.fourpawsusa.org/campaigns-topics/topics/wild-animals/worldwide-circus-bans
*9 Federal Circus Bill「Worldwide Summary」
https://www.federalcircusbill.org/briefings/worldwide-summary/
*10 WWFジャパン「動物サーカスをめぐる世界の動き」
https://www.wwf.or.jp/activities/news/5516.html
*11 USDA APHIS「Apply for an Animal Welfare License or Registration」
https://www.aphis.usda.gov/awa/apply
*12 USDA APHIS「Animal Welfare Act & Regulations(Blue Book)」
https://www.aphis.usda.gov/animal_welfare/downloads/AC_BlueBook_AWA_508_comp_version.pdf
*13 NOAA Fisheries「Public Display of Marine Mammals」
https://www.fisheries.noaa.gov/national/marine-mammal-protection/public-display-marine-mammals
*14 NOAA Fisheries「Marine Mammal Protection Act」
https://www.fisheries.noaa.gov/national/marine-mammal-protection/marine-mammal-protection-act
*15 環境省「展示動物の飼養及び保管に関する基準」
https://www.env.go.jp/hourei/18/000273.html
*16 環境省「展示動物の飼養及び保管に関する基準(PDF)」
https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/laws/nt_h25_83.pdf
*17 NZ MPI「Code of Welfare: Zoos」
https://www.mpi.govt.nz/animals/animal-welfare/codes/all-animal-welfare-codes/code-of-welfare-zoos
*18 環境省「展示動物の飼養及び保管に関する基準(終生飼養の考え方)」
https://www.env.go.jp/hourei/18/000273.html
*19 環境省「第二種動物取扱業者の規制」
https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/1_law/trader_c2.html
*20 日本動物園水族館協会「動物福祉規程」
https://www.jaza.jp/assets/document/about-jaza/document/2021/doubutsu-hukushi-kitei.pdf
*21 Wild Welfare「Animal welfare standards to be set in Japan」
https://wildwelfare.org/animal-welfare-standards-to-be-set-in-japan/
*22 WAZA「Code of Ethics」
https://www.waza.org/priorities/waza-code-of-ethics/
*23 WAZA「Code of Ethics and Complaints Process(PDF)」
https://www.waza.org/wp-content/uploads/2024/03/FINAL_WAZA-Code-of-Ethics-and-Complaints-Process.pdf

